機関誌【一期一会No.137】が発刊されました。
機関誌発行
2025.03.31 2026.05.14
現職の財務事務次官であった矢野康治先生の『憂国の情』の原点

~ 講演後にいただいたお手紙より知る、男の生き方!! ~
税理士法人TACT髙井法博会計事務所
TACTグループ関連12社 代表
会長・税理士 髙井 法博
本年1月21日に開催したTACT経営研究所の新春賀詞交歓会記念講演では、元財務事務次官の矢野康治先生にご講演をいただいた。矢野先生の今回の招聘の経緯は、前号(136号)の巻頭言に記したとおりだが、当日は壇上でスライドに映った資料を、全身を使って指し示しながら時間を超過し大熱弁でお話しくださり、『伝えたい』・『伝えなければならない!』という熱い想いが先生の全身からひしひしと伝わるご講演であった。講演を聞かれた皆様から、「素晴らしい話で感激した!矢野先生と全く同感で、(日本の現状・実情が)よく理解できた」と、大好評であり、「もっとお話を聞きたかった」との声も多かった。また、その後の新春賀詞交歓会では、ご来賓の御挨拶をお聞きになられている間以外はほぼずっと立ったまま、「希望されている方とは全て名刺交換をさせていただきたい」と、皆様お一人おひとりと誠実に、真正面から対話をしていただいた。パーティーの開催時間中、矢野先生の前には長蛇の列が途切れることなく、その結果、最後までお食事を召し上がることなくご対応くださり、会の終了後にホテルの部屋にてお食事をとっていただくこととなった。このようなお姿からも矢野先生のお人柄が伝わるが、さらにTACTの秘書より今回のご講演に際し、岐阜駅にお迎えに上がり、翌日のご予定やお帰りの時間等の問い合わせメールを事前にさせて頂いたところ、矢野先生からの返信メールで、大変丁寧かつ迅速に、概略「お気遣い深謝します。岐阜駅から会場までのバスの時間・停留場も調べております。翌日も(確定申告の)大変ご多忙な時期でいらっしゃいますので、岐阜城を勝手に見学して帰りますので、どうぞお気遣いなきよう・・・。」との変身をいただいた。そこで「ぜひ、迎えに行かせてください。翌日の岐阜城もよろしければぜひご案内させていただきたい。」ということと、矢野先生ご自身、28歳の時に小樽税務署の署長をされるなどのご経験もあり、「ご迷惑でなかったら、ぜひ私共の事務所にお立ち寄りいただけたなら・・・。」とお話ししたところ、「本当は少しだけで良いから事務所訪問をしたかった」と言っていただき、翌日にTACT本社と中央研修センターへ足をお運びいただいた。私事ではあるが、実は昨年より腰部脊柱管狭窄症を患い、現在は杖も使いながら生活をしているため、当日も杖をついてご案内をしていた。私自身、数十年振りの岐阜城であったことと、自身が記憶していた以上に砂利道で勾配があったことから一~二度よろめいてしまった。そのような場面を見られ、私が躓いて転ばないようにと階段を上る際には後ろを、降りる際には前を歩いて手を差し伸べてくださるなど、大雲上人であられる矢野先生のその立ち居振る舞いや細部に至るお気遣いなど、終始感動しっ放しの二日間であった。
それだけでも大変感激する出来事だったのだが、ご講演からわずか数日後に、矢野先生から便箋七枚にもわたる大変長いお手紙が届いた。ご講演翌日の22日にTACT本社・研修センター・岐阜城の見学等をしていただいたのち夕方にお帰りになられ、大変ご多忙でお疲れな中でその翌日にお手紙を書かれ、24日に投函して下さったのである。ご講演の際に感じられたことと共に先生ご自身の非常にプライベートな内容もご記載くださっているのだが、「だからこそ、現在の矢野先生が形成されたのだ」といたく感動し、何度も読み返させていただいた。
矢野先生の人格・物事に取り組む姿勢・生き様がよく分かる内容であり、本来なら個人的にお書きいただいた内容ではあるが、ぜひ私と志を同じくする皆様にもこのお手紙をご紹介したいと、躊躇しながら勇気を持ってご無理を承知でお願いしたところ、弊社機関誌「一期一会」への掲載をご快諾くださった。よって、ここにご紹介をさせていただくが、あくまでも大変プライベートな内容であるため、お読みいただく皆様方におかれましては、その旨ご配慮いただきますようお願いいたします。
髙井先生
一昨日、昨日と大変お世話になりました。どうもありがとうございました。講演としましては、皆様にとってどれだけ有意であったか不如意ですし、また、昨年春からほとんど進化できておりませんので髙井先生に対しましても申し訳なく存じますが、できるだけ多くの心ある方々にお話しさせていただき、光栄至極に存じ居ります。分刻みで綿密なスケジュール立てをなさっておられましたのに、私がだらだらと冗長に話してしまい、全体の式典の流れを乱してしまいまして、誠に申し訳ありませんでした。私は普段は横になれば三十秒以内に眠りこけるのですが、あの日はなぜか寝付けませんでした。恐らく、皆様の異様なまでの御熱意に圧倒されたのと、髙井先生の御挨拶をお聞きしていて、破裂音のある指揮官としての御訓辞ではなく、物静かな、それでいて隙のない真剣の構えのようなお話しぶりに、真の実力者の訓話とはこういうものかと、我が身を省みて恥ずかしくなるようで、いずれも不思議なものを見させて頂いたような気が致しました。そんな興奮で眠れなかったように思います。そもそも税理士事務所の関与先企業同士が横で結びついているという話自体聞いたことがありませんし、拝見させて頂いた研修所も、あれほどまでに研修施設として意匠を凝らした造りを見たことがありませんし、かつアートフルでもありましたし、よく考えてみますと、多くの税理士の方々が集まって研修をされることはあっても、一つの税理士事務所として研修を行うという話も聞いたことがありませんので、それもこれも不思議な世界でした。
髙井先生が「学ぶ」ということを桁違いに大切にされ、税理士業務をビジネスサポート業として高い次元で行っておられることがよく分かり、敬服するばかりです。人件費の重さを認識しつつ、それでも研修を重視する視座の高さ、これは二宮尊徳の言う経済と道徳の料率の重要性と難しさ、自利と利他の両立の大切さ、奥義にもつながるものかと思いつつ、並大抵のことでは出来るものではないなと感じました。
少々、私めの身の上話をさせて頂きますと、髙井先生が御著書の中で苦しい時に不思議とヒントを与えてくれるような人や事がちょうど現れたりしたという趣旨のことを書いておられましたが、私もそんな半生を歩んで参りました。恐らく、これもお書きになっておられましたように、経営者としてどうしたらいいか四六時中考え、何をしていても出口を考え抜いて生きていると、ハッとするヒントに出会うという体験を重ねるのだと存じます。役人を辞めて還暦になった頃から、全くもって遅まきながらですが、何となく「運・鈍・根」という言葉の意味が薄々分かって来たような気がしております。私なりの勝手な解釈としましては、
・運気や運勢というものはある。そう思って畏怖の気持ちを持って謙虚に生きたるべし。成功したのは自分の実力ゆえだ、などと思いあがってはいけない。ありがたい運のお陰だし、ご縁に救われたのだ。そう謙虚に思えるかどうかだ。
・自分に実力があるなどとは勘違いだ。自分には苦手なことも沢山あるし、得意な分野のつもりでも間違う場合がある。謙虚に客観視すれば、自分は愚鈍な存在だ。それを勘違いしてはいけない。己の鈍なるを自覚すべし。
・運に生かされ救われた鈍な自分。その現実をきちんと素直に弁えて、謙虚に、必死に、ど根性でとことん努力し研鑽すべし。
というようなことなのかな、などと感じております。
私は、髙井先生の生きて来られた凄まじい半生とは比べものにならない甘っちょろい人生を歩んできましたが、ほんの一つだけ、異様な体験をしました。三人兄弟(姉・兄・私)でしたが、姉が二十七歳で亡くなり、そこから突然変異のように覚醒しました。元々、両親が広島で、ピカドンで両方の伯母を亡くし、私たち兄弟は被爆二世ですが、気丈で正義感の強かった姉が脳腫瘍で亡くなり、私ももうあと数年で死ぬんだと完全に思い込んでしまいました。それ以来、どんな些細なことでも、少しでも世の中のためにいいことをやり尽くして、病床に付してからも「やれることは全部やった、いい人生だった」と思ってにっこり笑って死んでいきたいと、ものすごく強く思うようになりました。姉の分まで生きようと思ったのも当然です。それ以降は、どんな怖い上司も議員も全く怖くなくなりました。死の恐怖に比べれば屁でもなくなり、少しでも世のためにベターチョイスがあると思えば黙って居られなくなってしまったからです。よく死んだ気になれば何でもできると言いますが、私の場合(愚かな誤解に基づくのでしょうが)、その死んだ気に本当になってしまったのです。ですから、私も、少なくとも大蔵省・財務省の中では誰にも負けないほど努力しました。元々東大生にはかなわない劣等意識もありましたので、とにかく調べ尽くすとか、自分の直感に安住せず自己検証を重ねて判断することに拘りました。そんな仕事ぶりでしたから、より大事な仕事を任されるようにもなりましたし、人一倍努力しているので当然だとも思いました。でも、どこかで救われているし、どこかで運に恵まれていると認めざるを得ないような不思議なことが何度もあり、姉の守護かもしれませんし、やっぱり自分の実力だけではないし、思いあがってはいけない、と思うようになりました。そんなことで、役人人生をずっと「謙虚にひたむきに」と自戒し、自分を鼓舞して生きて来ました。ですので、髙井先生の御著書には、及ばずながら私なりに共鳴しっ放しでした。一昨日と昨日は、そんな自分でもなお本当に不思議な未知の世界を垣間見させて頂きました。
もっともっと精進して参りたいと念じております。今後とも何とぞ宜しくご指導賜りますよう御願い申し上げます。
岐阜城など、あんな危険な重労働をしていただいてしまい、本当に申し訳ありませんでした。お体に多大な負荷がかかってしまったことと存じます。お嬢様にご様子をお伺いするメールをしようかと何度も思いましたがきっと心配させまいと正直におっしゃってくださらないだろうなどと思ったりして、どうかあらぬ影響が出ませんように御祈り致しております。奥様にもお心遣いを賜りまして誠にありがとうございました。申し訳ありませんでした。こんなにご面倒・ご負担をおかけしておいて申し上げるのも恥ずかしい限りですが、ご家族の皆様、事務所、研修所の皆様もどうぞ風邪などひかれませんよう、お忙しい時期と存じますが、御健勝を御祈り申し上げます。どうもありがとうございました。
矢野 拝
令和七年一月二十三日
まさに、矢野先生がどうしてこのように謙虚で誠実・稀有な方として存在しておられるのか、その背景がよくわかると共に、先生のお人柄がよく伝わるお手紙をいただいた。ぜひ終生のお付き合いをさせていただき、折に触れてご教導を賜りたいと切に思っております。
(文責:広報委員会 委員長 髙井 歩実)